ジョン・フィリップ・スーザについて
「スーザ」は1854年11月6日にワシントンDCで生まれました。
6歳の頃から音楽教育を受け始め、
9歳にはもう「アルバムの1ページ」というピアノ&ヴァイオリンピースを作曲しました。
また、10〜11歳の頃には、アメリカ海兵隊バンドでトロンボーンを吹いていた父親と
一緒にアメリカ海兵隊バンドのリハーサルに参加したりもしました。
13歳には見習い楽手としてアメリカ海兵隊バンドに入隊し、
17歳で初めて楽譜を出版し、18歳(今の僕と同じ…)でマーチ第一号「閲兵」を作曲・出版しました。
そして、18歳にはもう一曲「敬礼」というマーチを作曲しているんです。
このマーチは、海兵隊バンドの新任の隊長のシュナイダーという人に
贈られたものなのですが、
なんとこの人、若いスーザの作品だということを知ったとたんに
「この曲は演奏するな!」と命令し、
演奏禁止にしてしまったんです。
(そして、この曲は今もどこにあるのかわかっていません)
そのあと…スーザはなんだかこの隊長とうまく馴染めず1875年に海兵隊バンドをやめます。
海兵隊バンドをやめたスーザはオーケストラや、
編曲者として活躍し、
この活躍から1880年、海兵隊バンド第17代隊長として迎えられました。
…ここでスーザと入れ替わりに隊長をやめたのは誰だと思いますか?
そう、あの「演奏するな!」のシュナイダー隊長です。
相当悔しかったでしょうね。(笑)
スーザは海兵隊バンドの改革をするとともにたくさんのマーチを作曲しました。
そして、1886年にはじめてのヒット作「古代ローマ剣闘士」を作曲します。
この曲に続くように、「忠誠」、「ワシントン・ポスト」、「雷神」、
「ハイスクール・カデッツ」(士官候補生)、などの傑作をたくさん作りました。
そのあとスーザは独立し、1892年「スーザ・バンド」を作りました。
スーザ・バンドはその高い演奏技術と
スーザのすばらしい指揮により大成功しました。
1896年には最高傑作「星条旗よ永遠なれ」を作曲、
1910年〜1911年には、なんと13ヶ月にも及ぶ世界ツアーを行い、
見事成功させました。
実は日本にも来るかも知れなかったんですが、
予定とかが合わず、これなかったそうなんです。
残念です…。
もしも来ていたら、日本で撮られたスーザの写真とかも
たくさん残っていたでしょうね。
そして、生涯現役のまま…
1932年3月6日…
客演指揮に訪れていたペンシルバニア州のレディングで、
リハーサルを行った後、泊まっていたホテルで急逝しました。
この日もリハーサルの凄まじいサイン攻めにあったそうです。(笑)
こんなところかな…
っていっても「スーザ・マーチ原典大全集」の説明と
ほとんど同じなのですが…。(笑)
ここには書いていませんが、
スーザには他にもすごい業績がたくさんあります!
なんといっても…
「軍楽のための音楽」だったマーチを「民間のため音楽」に
したことは大きなことだと思います。
自分のマーチや他の作曲家のマーチを積極的にいろんな所で
演奏して人々に広めたんです。
ある街にツアーにいってそこに作曲家の人がいたときは、
その人をコンサートに呼んでその人(町にいた作曲家の人)を
コンサートに呼んで、自分の曲を指揮させてあげたそうです。
そして、スーザにとって一番のライバルである作曲家でさえも
スーザの大ファンだったという話もどこかで見たような気がします。
(スーザ・マーチ大全だったかなぁ)
他にはスーザ・フォンを考案した事も
大きな業績のひとつでしょうね!
あの存在感バッチシな大きい楽器ですよ!
体中にぐるぐる巻きついているチューバ系の楽器です。
あ〜
少しでもスーザを好きになってくれるひとが
増えればいいのにな〜。